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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)1949号 判決

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金八八万円及びこれに対する平成七年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告らは、原告に対し、連帯して金三三〇万円及びこれに対する平成七年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が勤務先である被告丙川有限会社(以下「被告会社」という)の会長である被告乙山太郎「以下「被告乙山」という)から性的嫌がらせを受け、不当に屈辱的な思いをさせられ、女性としての人格を傷つけられたとして、被告乙山に対し不法行為に基づく損害賠償を、被告会社に対し被告乙山の不法行為についての使用者責任に基づく損害賠償を、それぞれ求めた事案である。

一  争いのない事実

1 当事者

原告(昭和三七年生)は、平成元年に協議離婚し、長男(昭和六〇年生)と二男(昭和六三年生)の二人を養育しながら、平成六年五月九日(以下、とくに年を示さない場合は平成六年とする)、被告会社に就職し、三か月の研修期間を経て、八月九日、正社員となった。

被告会社は、葬祭を業とする従業員約八〇人の有限会社であり、被告乙山(昭和八年生)は、被告会社の会長である。

2 被告乙山は、原告が被告会社に採用されてから一週間くらいした五月中頃、二日続けて原告の運転する被告会社の自動車の助手席に同乗し、二日目には、原告を翌日のモーニング・コーヒーに誘った。

3 その後、原告は、被告会社の総務課課長丁原松夫(以下「丁原課長」という)から、前記2の事実が社内で知られていることを告げられた。

4 原告が、平成七年八月九日、被告会社の正社員になった後、被告乙山は、原告の知人の弟である戊田竹夫(以下「戊田ら」という)の求めに応じて、喫茶店で戊田ともう一人の男性と面会し、その席で同人らから、被告乙山が原告をコーヒーに誘ったこと等について謝罪を求められた。

二  争点

1 被告乙山から原告に対し、性的嫌がらせが行われたか。

(原告の主張)

被告乙山は、被告会社の会長という地位を背景に、顧客を訪問中の原告の自動車に乗り込んで、前記一2のとおり、コーヒーに誘ったうえ、「一七や一八の小娘やないから分かるでしょう」等といって性的関係を求めていることを暗示したうえ、原告の左太ももの上に手を置き、何度もさすり、一〇分位の間、左太もものあたりを触り続けた。

(被告らの主張)

被告乙山は、原告の緊張をときほくしてやろうとコーヒーに誘ったものであり、性的交際を求めたものではない。その余の事実は、全くの捏造である。

2 被告会社の使用者責任

(原告)

被告乙山の行為は、事業の執行行為を契機として、これと密接な関連を有するものである。

(被告会社)

被告乙山の行為は、男女のプライベートな言動であり、「事業の執行に付き」なされたものではない。また、被告乙山は、被告会社の会長であったが、名誉職的な地位にあり、業務命令権は一切なかったものであるところ、会長としての地位を利用し、優越的関係において原告を誘ったものではない。

3 損害

(原告)

原告は、三〇〇万円を下らぬ精神的苦痛を受けた。

(被告ら)

原告は、素行や勤務態度が不良であったこと等から、解雇をおそれ本件訴訟を提起したものであり、なんら損害は生じていない。

第三  当裁判所の判断

一  前記争いのない事実、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1 原告は、平成元年に協議離婚し、二人の子供(入社当時八歳と五歳)を養育していたが、平成六年五月九日、被告会社に就職した。なお、採用から三か月は研修期間とされていた。

原告の職務内容は、葬儀後のアフタケア業務、すなわち主として写真届け、アンケート調査、中陰机の引き取り、片付け、市役所の届け等であり、外を回るときは、業務用の軽四自動車を運転することとなっていた。

2 被告会社は、葬祭を業とする会社であり、従業員は約八〇名(男性六〇名、女性二〇名)くらいである。

被告乙山は、被告会社の創業者の三人のうちの一人であり、平成五年四月に社長を退き、代表権をもたない会長になった。会長の職務はとくに定められておらず、役員会に出席することもなく、また、出勤するかどうかも自由とされ、終身で月額三〇万円の報酬を受け取ることになっていた。

3 原告は、平成六年五月中頃、顧客へ写真等を届けるため、被告会社の自動車(2ドアの軽自動車)を運転して被告会社を出たところ、ほどなく被告会社の付近で、被告乙山に呼び止められた。原告が自動車を停めると、被告乙山から被告会社運営にかかる儀式会館甲田殿まで送ってほしいと求められたため、原告は、被告乙山を助手席に乗せて送りとどけた。

4 翌日午前九時ころ、被告乙山は、原告が顧客宅を訪問するために被告会社を出て、近くの交差点を右折しようとしていたところ、進行方向の歩道に立っていて、話しかけるような素振りをし、それに応じて原告が車を歩道に寄せて停車すると、原告の車に乗り込んだ。

そして、被告乙山は、原告にどこへ行くのかと尋ね、原告が、「山本方面のお客さんを三軒ほど回ります、どこかに送りますか。」と答えると、今日は仕事がないので原告の行き先についていくといって、地図を見ながら道路を指示し、原告が顧客宅を訪問している間も車中で待っていた。

原告は、午前一一時前くらい顧客宅訪問の仕事が終わり、被告乙山を同乗させたまま帰途についたが、その間、被告乙山は原告に、「明日は休みなんだけれども、あなた、来るの」と尋ね、原告が出社する旨答えると、「私、明日休みなんだけれども、べっぴんさんの顔を見に来ようか」といい、原告がせっかくの休みだからゆっくり休むように勧めると、被告乙山は、「やっぱり明日出てくる」、「明日、デートしてくれませんか」と迫り、対応に困った原告が、「朝、コーヒーを飲みに行くくらいなら」と答えると、「あ、コーヒーね」、「一七、八の小娘じゃないから分かるでしょう」と性的なニュアンスを匂わせた。

原告は、被告乙山の言動に不快感を覚えたが、その地位を慮ると誘いを断ることも叶わず、やむなく承諾すると、「うれしいな、うれしいな」といって、原告の左太ももに手を置き、何度かさすった。

原告にとって右行為は、耐え難いものであったが、運転中で身をかわすこともできず、また、相手が会長であり、今後の仕事のことなどを考えると、払いのけることも憚られ、耐えるほかなかった(以下、本項で認定した事実を「本件」という)。

被告乙山は、会社に近づくと、「ここら辺はよくうちの若い連中が通るものだから」といって、少し離れたところで、自動車を下りた。

5 原告は、その翌日、仕事にかこつけて、被告乙山の待つ場所へ行くのを避けたが、本件の後、原告は丁原課長から、原告が被告乙山からコーヒーの誘いを受けたことが社員の間で知られている旨を告げられた。なお、その後、会長からさらに同様の誘いを受けたことはない。

6 原告は、平成七年八月九日、正社員になった。

7 その後、原告の依頼を受けて、原告の友人の弟である戊田が被告乙山に電話をかけ、一〇月二二日、戊田ともう一人の男性とが喫茶店で被告乙山に会い、本件行為について謝罪を求めたが、被告乙山は、言を左右にして謝罪には応じなかった。

二  被告らは、前記一4認定事実のうち、前記争いのない事実を除くその余の事実をいずれも否認し、被告乙山はこれに副う供述をしている。すなわち、

1 被告乙山は、本件当日、被告乙山が原告の運転する自動車に乗った経緯について、原告が車を被告乙山の側に停めたから乗り込んだ旨述べている。

しかしながら、たとえ前日、被告乙山に呼び止められて儀式会館甲田殿まで送ったことがあるといっても、入社後一週間程度しか経過しておらず、しかも顧客宅に向かう途中の原告が、会長の立場にある被告乙山の姿を見かけたからといって、通行量の多い道路で、自分からすすんで自動車を停車させたとは考え難い。

むしろ、原告が供述するように、被告乙山の方で原告の姿を見つけ、原告を呼び止めるような仕種をしたため、原告がこれに応じたとみるのが自然である。

2 被告乙山は、原告に同行した理由について、被告乙山が友人宅を訪問しようとしているといったところ、原告の方から会長は八尾の地理に詳しいでしょうねといったため、指図をした旨述べている。

しかしながら、この点についても、新入社員である原告から被告乙山に対し、道案内を求めるような申出をしたとみるのは不自然であり、かえって原告が供述するように、被告乙山の方から原告に行き先を尋ね、自ら道案内を買って出たとみるのが自然である。

3 被告乙山は、原告をモーニング・コーヒーに誘った理由について、原告の緊張をほぐしてあげるような老婆心から行ったものである旨述べている。

しかしながら、仕事についての悩みを聞き、アドバイスを与えるだけであれば、山本から会社への帰途だけでもかなりの時間があったと認められ、さらに、喫茶店に誘う必要性まではなかったはずであって、被告乙山には、単にアドバイスを与える等にとどまらない目的があったと見るべきである。

4 被告乙山は、原告の太ももに手をあてたことについて、原告が供述するように撫でたことはない、揺れてあたったかもしれない、あるいはじゃあ明日やねと言ってぽんと叩いたことはあるかもしれない旨述べている。

確かに、いくら運転中であるとはいえ、原告が供述するように長時間、撫で続けたというのはいささか不自然であり(被告乙山の行為が、長時間、継続的に続けられたのなら、貞節な女性としてなんらかの拒絶反応が示されていてよいはずであるが、それはない)、原告の供述にも誇張があるといえなくないが、被告乙山のたまたま当たったかもしれない、あるいはぽんと叩いたなどといった弁解は、いかにも不自然である。

5 そして、被告乙山の述べるところによれば、原告に対してなんらやましい点はないはずであり、戊田が被告乙山に面会を求めてきてもこれを断ることができたはずであるが、被告乙山が面会に応じていることからみても、本件について、被告乙山の供述するとおりの事実関係ではなかったことが窺われる。

6 以上述べたところから、前記認定に反する被告乙山の供述は採用できず、他に、前記認定を覆すに足りる証拠はない。

三  前記認定事実を前提として、被告乙山の責任を検討する。

1 職場で行われる相手方の意思に反する性的言動の全てが違法性を有し、不法行為を構成するわけではない。社会的にみて許容される範囲内の行為も自ずからあろう。違法性の有無を決するためには、行為の具体的態様(時間、場所、内容、程度など)、当事者相互の関係、とられた対応等を総合的に吟味する必要がある。行為の態様は一見悪質でも悪ふざけの類として許される事案もあれば、行為の態様は軽微でも、被害者が置かれた状況等によっては、その人格を侵害し、重大な損害をもたらすものとして、厳しく指弾されなければならない事案もある。

2 これを本件についてみるに、前記認定事実及び《証拠略》によると、被告乙山は、被告会社の会長であり、原告は、入社早々でまだ正社員にもなっておらず、会社内部の事情にも疎かったものであって、被告乙山の機嫌を損なうと、雇用関係上、いかなる不利益を受けるか分からず、極めて不安な状況にあったうえ、被告乙山は、原告の車に同乗してきたものであり、その言動を咎めだてする者はなく、原告において、被告乙山の言動をさける術がなかったものであるところ、原告は、夫と離婚し、その手で二人の子供を養っていたものであって、被告会社で働く必要があり、被告乙山の言動に逆らうことが憚れたため(被告乙山は、原告の立場を十分認識し、問題の言動に及んだものである)、被告乙山の言動に不快感を覚えつつも耐えざるを得なかったものである。

これらの事実に鑑みると、被告乙山の前記一4の行為は、行為の態様自体はさして悪質ではないものの、偶発的なものではなく、原告に対し再発の危惧を抱かせるものであり、その人格を踏みにじるものであるから、社会的にみて許容される範囲を越え、不法行為を構成するというべきである。

なお、被告らは、被告乙山は代表権を有していない名ばかりの会長であって、人事権はなく、原告に対する業務命令権を有していなかったというが、入社早々の原告がそのような事実を知っていたとは思われず、仮に知っていたとしても、被告乙山は被告会社の創業者の一人であり、その息子が専務を勤めていることからすると、原告が抱いた雇用関係上の不安は解消されるものではない。

四  被告会社の使用者責任

被告乙山は、外形上、原告が職務を遂行中、少なくとも「被告会社の会長として、原告が早く業務に慣れてくれるようにと親切心から、アドバイスのつもりで同乗し」(答弁書)していたものであって、本件における被告乙山の行為は会長の職務とは無縁ではなく、しかも、前記二認定のとおり、同行為は被告会社の会長としての地位を利用して行われたものであるから、職務との密接な関連性があり、事業の執行につき行われたと認めるべきである。

なお、被告会社は、被告乙山が名目的な会長であったことから、原告に対して有する優越的な地位を利用したものではないと主張するが、被告乙山は被告会社にほとんど毎日出社しており、朝の朝礼にも参加するほか、社員の行儀等の教育も行っていたものであり、本件についても、被告乙山が原告に対し、道順を教えた帰途に行われたものであるから、被告会社の主張は採り得ない。

五  原告の損害

1 被告乙山の前記一4の行為は、一回的なもので、反復・継続的なものではなく(ただし、原告が会社を辞めない限り、同様の行為が繰り返される不安はあった)、また、原告の明示的な拒絶を無視してなされたものではなく、態様も必ずしも悪質ではないが、原告と被告乙山はそれまで交際をしていたわけではなく、したがって、本件行為は、原告に対する余程の侮りがなければなし得なかったものであって、原告が受けた精神的苦痛は甚大であり、被告乙山は、立場上その手を払退けることが叶わなかった原告の屈辱を余所に、男慣れしていると思ったなどと嘯き、いまだ謝罪の意思も明らかにしていないものであるから、その他本件記録から窺える一切の事情を考慮すると、原告の精神的損害に対する慰謝料は、八〇万円と認めるのが相当である。

2 また、被告乙山の前記不法行為と相当因果関係のある損害と認められる弁護士費用の額は、事案の難易、請求額、認容額、その他諸般の事情を斟酌すると、八万円と認めるのが相当である。

六  よって、原告の請求は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として連帯して金八八万円及びこれに対する不法行為後である平成七年三月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤嘉彦)

裁判官 中村 哲、裁判官 富阪英治は、填補のため、署名押印することができない。

(裁判長裁判官 佐藤嘉彦)

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